1.【Why】 祈り、そして逃げ道を断った「静かなる革命」
「なぜ、あなたは、わざわざこの場所を創ったのですか?」
もし、その問いに答えるとしたら、私が20代から歩んできた30年という、光と影が激しく入れ替わる歳月についてお話しなければなりません。
1972年、北海道の小さな町で生まれた私が、20代の入り口で絶望の淵に立ち、生きるために心理学という名の命綱を握りしめてから、約三十年(約一〇九五〇日)という年月が流れました。
それは一人の人間として、生と死、そして人の尊厳が剥き出しになる福祉の現場で、血を流しながら学び取ってきた「実存の編み跡」です。
私自身、かつて一人のクライエントとして、多くの相談の場を巡りました。
そこで痛感したのは、安易なアドバイスや「励まし」という名のナイフで、傷ついた人の実存をさらに削ってしまう「無意識な指導性」が、あまりにも多いという実情でした。
呼吸をするために、ただ生きていくための平穏が必要だったはずなのに、より苦しくなって、ひとり、のたうち回る。
その暗闇の中で、肺の奥深くにまで入り込んで心身を蝕んでいく、排気ガスのような息苦しさ…

その耐え難い体感は、今もありありと思い起こせるとともに、私の「革命」の源泉になっています。

「本当にまともに、心から、そのままを受け止めて、聴いてほしい … 」
その切実な願いが叶わぬもどかしさの果てに…
私は、ならば、自分自身が場を立ち上げるしかないと決意したのが「ほんわか倶楽部」です。

それは私にとって、自らの逃げ道をなくすための、生涯を賭けた誓いでもあったのです。
私は、あなたを「患者」や「治すべき故障品」とは思いません。
ここでは、入会を経てこの場の一員となった、自らの物語を生きる「住人(レジデント)」です。
管理され、診断され、強引にプラスへと誘導される場所から、ただ自らの実存を呼吸し、まずは「凪(なぎ)」を取り戻せる場所へ ──
この道こそが、私にとっても、静かな革命の第一歩です。

2.【How】 30年の地層を、一滴の智慧(ちえ)に変えて
この信念に辿り着くまでに、30年の地層が必要でした。
私の原点は、ルポライター専攻科で学んだ「反差別の視座」にあります。
20代の私は、医療や差別の最前線にある現場で、剥き出しの「実存」を目に焼き付けてきました。
その後、日本三大出版社での勤務、ライブハウスのバーテンダー、複数の福祉施設、そして地域一番店にまで押し上げた料理店のチーフ……。
一見、脈絡のない遍歴に見えますが、私の中では一貫して「心・技・体」を調律し、命の編み直しを繰り返してきたプロセスでした。

まな板が刻む確かな響きの中に、あるいは夜毎に流れる音楽の隙間に、私は「在る(Being)」への真実を探してきたようにも思えます。
それらが、気の遠くなるほど長い年月をかけて沈殿し、今、私の中で「透明なインク」へと変わっていっているように感じています。
私は、あなたを「導く先生」ではありません。
今夜も自分自身の編み目を一つひとつ確かめている、あなたと同じ途上に居る存在です。
その代わり、完全に克服した、悟ったかのような台詞などを吐くこともなく、誠実で関わり続けたいと気をつけています。

ここでは、人間性心理学の父であり、「傾聴」や「来談者中心療法」の創始者として知られる心理学者、カール・ロジャーズの教えを大切にしています。
この図書室の思想的な礎(いしずえ)でもある彼が重んじた、「自己一致」や「無条件の積極的関心」、理解しようとする試みが循環し続けて、クロッシング(交差)していく「共感」等々…。
その真髄の在り方に近づいていこうとする実践の日々を、何よりも大切にしています。
ロジャーズは、かつて自宅の暗い地下室で、ジャガイモがわずかな光を求めて白い芽を伸ばす光景を目撃しました。

「ジャガイモの芽が 日の当たらない暗い地下室でも
一筋の光を求めて 必死に芽を伸ばそうとするように
人間にもその力が 必ず宿っている」
どのような逆境にあっても、有機体は自らの可能性を最大限に発揮しようとする内在的な力を持っている。
この言葉を知る前から私自身も、人はそのままで充分に尊い存在であると幼少時より信じて、今日まで生き残ってきました。
後にこの言葉を知りましたが、これもまたロジャーズに共鳴して惹かれ続ける理由なのかもしれません。
私はそのような命の瞬間に立ち会う「メディア(触媒)」として、あなたの傍らに佇みます。
あなたがまだ言葉にできていない「沈黙」もまた、この場所では大切な蔵書として守られます。
その空白こそが、この図書室の最も大切なコレクションなのです。

3.【What】 社会の「静かなる余白」としての最後の砦
この夜明けの図書室を、コーヒー一杯分(月500円あたり)の維持費で提供し、10年の歳月を設定したのは、「この場所を『余白』として守り抜くための、静かな誓い」です。
これは、単なる安売りではありません。
効率や成果という物差しを一旦門の外に置き、焦りから解放されるための「心の余白」を死守するためのインフラです。
一秒でも早く答えを出す行為が正義とされる世界で、あえて10年という歳月をかけ、自分という根っこを育む。
この圧倒的な「非効率」こそが、命が本来のリズムを取り戻すために必要な「安息のしつらえ」なのだと信じています。

それは「誰かのため」に奔走する前に、「まず、自分自身を癒やし回復させて、自らの内に凪(なぎ)を取り戻す営み」が、何よりも肝要だからです。
自分を慈しみ、再び深く呼吸できるようになって初めて、人は他者の物語に真により添えるようになるからです。

強いマイナスの状態にあるとき、無理に前を向く必要などありません。
哀しいときには、あえて哀しい音楽に浸る…。
その「同質の原理」がもたらす静かな共鳴こそが、凍りついた心を解きほぐす大切なプロセスになると、古代ギリシャのアリストテレスともまた説いていました。

自分の心の震えと同じ調べに包まれる時間があってこそ、ようやく感情は浄化(カタルシス)されて、少しずつ本来のリズムを取り戻していくのです。
「生存(サバイバル)」のフェーズを超え、あなたらしく鮮やかに咲き誇る「開花(スライバル)」の地平へ至るまで、私は伴に歩みます。
あなたの人生という物語を、もう一度、あなたの手で編み直していって……いただけるでしょうか?
ここにあるのは、世界でもっとも贅沢な「安息の時間」というギフトであり、スライバルへの静かな芽吹きなのです。

「それでも、生き残る(サバイブ)だけで精一杯だ」
「生き残る(サバイバル)」から 自分を慈しみ「生き抜く(スライバル)」というような話に、違和感を覚える人だっているのではないでしょうか。
その感覚もまた、一つの真実だと思います。
社会学者のアーリー・ホックシールドが指摘したように、私たちは日常的に役割を演じるための「感情労働」のなかで、激しく摩耗しています。
特に、誰かを支える福祉や医療、ケアの現場に身を置く人にとっては、自分を後回しにする立ち位置が当たり前になっているのではないでしょうか?
もしくは、もっと違う状況だってあるかもしれません。
だからこそ …
お伝えしたいのは、スライバル(開花)とは、決して、きらびやかな成功や自己実現のスローガンではないという視点です。

心理学者のユージン・ジェンドリンが「フォーカシング」という手法のなかで説いたように…
それは身体の内側に浮かぶ、まだ言葉にならない微かな感覚(フェルトセンス)
── その小さな揺れに、そっと耳を澄ませる「自分への関わり」から始まっていきます。
今日は 一歩も 前に進めなくてもいい …
ただ 麻痺させていた感覚が
ほんの一瞬 あなたのもとに戻ってくる …
この図書室での歩みの中で
その微かな震えを 感じ取れたなら …
それもまた 充分にスライバル(開花)の兆しと
言えるのではないでしょうか


村田が、チェックイン瞑想のインストラクションをしている動画(音声)を、こちらで限定公開しています。

